おいてけ堀の怪談【ストーリー】江戸に伝わるのっぺらぼうの恐怖

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おいてけ堀の怪談【ストーリー】江戸に伝わるのっぺらぼうの恐怖 ストーリー
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昔話に息づく日本の怪談「おいてけ堀」は、江戸時代の町に伝わる不気味な物語です。釣り人を襲う謎の声や、のっぺらぼうの出現といった怪奇現象は、今もなお私たちをぞくりとさせます。ここでは、この伝説の恐怖をお楽しみいただきます。

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おいてけ堀

江戸の夜。月影は薄く、町外れの空に漂う雲が不吉な影を落としていた。ひっそりと流れる一本のお堀。その名は「おいてけ堀」。

この堀には奇妙な噂があった。釣り人が魚を手に帰ろうとすると、闇の奥から冷たい声が響くという――「おいてけ~」。その声に恐怖し、魚を捨てて逃げる者が後を絶たない。

「そんなモノ、怖くねぇ! ついでにそいつも釣ってやらぁ!」

町の魚屋、半兵衛が大口を叩いた。女房や仲間が止めるのも聞かず、彼はねじり鉢巻を締め、魚天秤を担ぎ、夜の堀へと向かった。

**

堀のほとりに着くと、空気がひやりと冷たかった。水面は月を映してゆらゆらと揺れ、不自然な静けさが辺りを支配していた。半兵衛は釣り糸を垂らし、しばし待つ。驚くほど簡単に魚が釣れる。

「ほれ見ろ、豊漁だ!」

だが、笑う彼の頬を突いたのは、湿り気を帯びた異様な風。ざわり、と背筋が粟立つ。辺りを見回すが、人影はない。ただ、柳の枝が重たげに揺れている。

「気のせいだ、バカバカしい」

キセルに火をつける。煙が渦を巻いて夜空に吸い込まれていく。と、どこからともなく囁きが聞こえた。

「……おいてけぇ……」

声が、堀の水面に染み出すように響く。半兵衛は耳を塞いだが、その声は頭の内に直接滴り落ちてくる。

「おいてけぇ……」

冷や汗が背を伝う。魚を抱え、逃げ出そうとした瞬間、水面が大きく揺れた。月の光が波に砕け、無数の白い顔が水底からじっとこちらを見つめていた。

「おいてけぇぇ……」

半兵衛は悲鳴を上げ、魚の天秤を投げ捨てて走り出した。

**

息を切らしてたどり着いたのは、柳の木の下。肩で息をしながら、辺りを見渡す。突然、背後から「カラン、コロン」と下駄の音。

振り返ると、白い着物をまとった女が立っていた。髪は夜の闇のように黒く、顔は血の気を失うほどに白い。女は微笑み、口を開いた。

「その魚、私に売ってくだしゃんすか」

「売らねぇ! みんなに見せるまでな!」

「そうですかい……なら、これでも?」

女が頬に触れる。指が滑るごとに、鼻、口、目が消えていく。のっぺらぼう。

半兵衛は喉がひゅっと鳴るのを感じ、恐怖に背を押されるように逃げた。

**

町外れのそば屋に駆け込み、主人にすがりついた。

「出たんだ! 顔が、顔がねぇ女が!」

主人は黙って頷き、ゆっくりと振り返る。その顔に、目も鼻も口もなかった。

「こんな顔でしたかい?」

声がひたり、と耳にまとわりつく。半兵衛は叫び声を上げ、転がるように店を飛び出した。

ようやく自宅へたどり着き、戸を叩いた。

「おい、開けてくれ! 女房! 開けてくれ!」

「どうしたえ? お前さん、真っ青だよ」

安心した。女房の声だ。中へ入ると、彼女が心配そうに覗き込んできた。

「出たんだよ、あれが、あの顔がない女が!」

「……そんなんじゃ、わかんねぇよ」

女房が頬を撫でた。顔が溶けるように消えていく。

「こんな顔じゃなかったかい?」

半兵衛はその場に崩れ、意識を手放した。

**

目が覚めると、冷たい地面の感触が背にあった。自宅の畳ではない。見上げると、揺れる柳の枝。その先には、月を呑み込むような真っ黒な水面が広がっていた。

「おいてけぇぇ……」

声が、耳元で、頭の中で、何度も響いていた。

その夜以降、半兵衛の姿を見た者はいない。

 

あとがき

江戸時代に伝わる昔話「おいてけ堀」と、のっぺらぼうの恐怖をご紹介しました。目に見えぬ怪異がもたらす恐怖は、時代を超えて私たちの想像をかき立てます。夜道を歩く際、背後に「おいてけ~」という声が聞こえてきたら、決して振り返らないでください――そこには、白い顔があなたを覗いているかもしれません。

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